ベートーヴェンの「第九」に魅せられた私の話
昨年、大阪城ホールにて「サントリー一万人の第九」に参加した。
通算2回目だ。
最初、大阪城ホールで歌えることにもの凄い熱に浮かされた。
何故なら、私はこの場所によくアイドルのライブで来ていたし、通ってすらいた時期がある。
自分が一番好きなアイドルが歌を歌う場所。そんな聖地でミュージシャンでもなければ、アイドルでもない。
普通の人だ。
それが全国から抽選で選ばれた一万人が集まって一つの歌を歌う。
とても楽しそうだなと思い申し込みした。すると、滋賀に住む友達でコナンカフェで知り合ったゆきちゃんも興味があるらしく、2人で別々の地で練習して、絶対同じ会場で歌おう!そう話して当落を2017年結果は2人とも当選。やった!と思ったのも束の間だった。
仕事をどうセーブしていくかを悩まなくてはならなくなった。約3カ月練習がある。金曜日は毎週築地へ通わなくてはならなくなったからだ。
悩みに悩み、上司に相談するとフレックス制度を有効に使ってメリハリを付けてくれたらいいよと言われて築地に通い出した。
毎週譜面読みからスタートする。ドイツ語の発音があまりにも難しいので毎回絶望感に襲われて音取りすらままならなく、CDを毎日聞き込んで何とか形にしていく。12回のレッスンで果たして人前で…大阪城ホールで歌えるくらいになるのかが不安で不安で毎日譜面を見ながら自信を持つことすら出来ないまま練習をしていた。
でも、先生から言われたイメージや、空気、見えている世界、ベートーヴェンの人となり。音楽の在り方を知れば知るほど、ベートーヴェンの印象が変わっていくし、この「第九」に取り憑かれた人達の思いも、伝えたいメッセージも知ることで歌が変わって来た。
それに二回目になるとたくさん気がつくことになった。一回目は不確かなまだ磨かれてない石を荒削りしてしまった感じだったけど、研磨していくように美しさを増していく。
ベートーヴェンってすげぇ!!!
毎回歌う度に思うから凄いのである。そして、佐渡練をすればするほど、毎回泣きたいくらいに素晴らしい歌声になって作品になっていく。
ベートーヴェンが伝えたかったのは人類愛であったり、人生だったりする。それが第九の第4章だと私は考えている。オペラに合唱がついていると考えると、とんでもなくクラシック音楽なのにも関わらず私達がクラシックと縁がなくても面白い立ち位置にいるのは確実だ。ソリストはオペラ歌手。私達は民衆なのだ。ベートーヴェンは多分、音楽の貧富を誰にもさせたくなかったのだろうなと感じる。何かもぅ凄い。考えても歌うだけならお金はかからない。その曲さえ知っていれば誰だって素晴らしい世界を共有できる。それを250年も前の人が知っている。凄すぎないか?ベートーヴェン。知ってたけど。
戦争が絶えない時代に作られて、人々が手を取り合う難しさすらこの曲には書かれている。そして、人生の困難についても。特に個人的にはMの前(1番有名な大合唱になる部分)の荒波に飲まれるような人生の苦難に見えてくるバイオリンから始まるの切迫つまるような音を聞くと、いばらの道を切り開いて進めば君を信じて待ってくれている人がきっといるよ。必要とする人はそこで君が来るのをしっかり待ってるよ。だから、前を向いて歩いてごらん?と言われている気にもなる。
このストーリー性が多分好きで、そのMから漸く出会えた人達と抱き合い、みんなが尊敬し合い、お互いが共存できる世界にしようと言うめちゃくちゃ壮大なスケールで歌うから第九は体力も根気もめっちゃくちゃ使う(いつも、痩せそうとか思う)
こんな時代になっても、歌えるのは平和だからだと、昨年のパンフレットに書いている人がいた。本当にそうだ。何かしらの平和のために出来ることなのかも知れない。
今年歌い始めは第九を千葉駅の改札外で歌うイベントに参加した。こんな世界が見えないウィルスと闘っていて、気持ちが落ち込んでる時期だからこそ、歌いたいと思って参加した。去年の一万人の第九の時は台風の影響で地元でも大変な思いをしたけれど、歌うために大阪へ行った。
第九は誰かの人生に寄り添う歌。
そんな楽曲だから日本人がこんなにも愛してやまないんだろうと思っている。
私はそのメッセージを歌いたい。だから、第九を歌えるステージにこれからも登り続けたいと思っている。